【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会奥武蔵・有馬渓谷と有

suikei2006-05-13

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 奥武蔵・有馬渓谷と有馬山【研究】【翠渓会奥武蔵研究部】


武蔵ノ国西部、奥武蔵の渓流【有馬谷】と【有馬山】、多々良(タタラ)の頭。蕨山。白谷沢付近の旧有馬渓谷付近より歩いてみる。ダムができる前は素晴らしい渓相だった。【名栗湖】に沈んでいる【有馬大滝】。高くはないが姿のよい滝だ。右岸より巻けた。『有馬』の名はいつ付いたかわからないが比較的新しいようだ。秩父側からはあまり意識できない山だが蕨山や峠、林道などからのルートがあり人が少ないシーズンの方がよい。最近林道が延長され有馬谷も『本谷津』、『白岩入』は荒れた感じだ。【狼窪】や【多々良ノ入】も同様に工事の影響を源頭から少なからず受けている。 タタラノ入を詰めても『ありま山』に出る訳でなく『ありま山』自体どこを指しているのかわからない。林道など無い時代に近くの『麓』から見上げた山稜一帯を漠然と『有・馬』の山と呼んだのではないだろうか?農耕者たちが仰ぐ山のように麓からついた山名のようが気がする。「名栗の盟主」だが奥山の為、名栗側からは少なくとも有馬山全体を見れる所は少ない。比較的近く限られた麓『牧』から見えるから『存』『馬』なのだろうか?武蔵国史、風土記などに出てくる『牧』の場所もよくわからない。『牧』の場所がないのに『馬』は居る訳もなく甲州のような広大な『牧』は見当たらない。牧より規模の小さな牧柵(まきば)があったのでないか。昔の『牧』の名乗がある所には、現在牧場になっている地域がある。地図から消えた地名も土地の人から聞くことができる。姥小屋辺りや旧集落の落合の先住者の子孫はいる。昔から『有馬』の地名には正確な答えがない。摂津有馬温泉もかなり山間の出で湯だ。関連性はないが『地名』の『語源』には興味があるところだ。奥武蔵の渓流や外秩父の渓流でみられる、渓流の沢、谷の事を【入り】【入】【谷津】と呼ぶ場合が多いが、小さな谷や小沢を指して言う場合が多い。谷の深さや奥行、開轄度合、明るさなどが固有名になっていったと思われる。(詳細は翠渓会奥武蔵研究部)  近年登山を始められた方もあまり歴史など拘らない方も過去の歴史を事前に学習しておくとまた違った山旅になる。翠渓会奥武蔵研究部



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