【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会【渓流の山里】4〈西

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会【渓流の山里】4〈西上州・権田の里〉



西上州・権田村と言えば…幕末の名臣小栗上野介の領地で、上野介終焉の里として有名ある。小栗公は最後まで徳川幕府の為、尽力した幕府の忠臣だった。幕府勘定奉行を罷免された上野介は、権田村に帰り暮らしていたが、新政府による小栗氏追討には徳川埋蔵金伝説が絡んでいた。江戸開城前の勘定奉行であった上野介が御金蔵を隠した(知らない訳はない)と判断したのだろう。斬首される最後まで何も語らなかったという。埋蔵金赤城山にあるという説が有力だが、私の個人的な主観では、赤城山説は囮(トリック)だと思う。戦国一の謀略家、毛利元就の反間の用術…を思い出す。本当に隠し軍資金とする場所は簡単には流布しない。過去に見つかった埋蔵金も本命ではなく、一部または囮トリックが見つかったに過ぎない場所もある。赤城で何かが出土すれば「間違いない」と確信するからだ。軍事資金目的に埋蔵されら場合は、八門遁甲と方位学によって埋蔵されるのか普通だ。特に上野介は勘定奉行として幕府の要職にあったし、政治に関わる中心人物で、上野介のように我が身命より大事な埋蔵金を隠すのに、わざわざ人に見られるような運搬方法や場所を特定するような流布を流すだろうか?……。小栗公の権田村は領地でもあったが、隠棲も口実だろう。恐らく江戸開城決定以前(薩長に感付かれる前)に移していると思う。小栗公の足取りも上州には直行していないようだし、林鶴梁との密謀があったのではないかと思う…。さて高崎から街道を遡り榛名山麓を過ぎ、山間の権田村に入る。春先は西に浅間山が真っ白に聳え、西上州の山々を見下ろしているかのようだ。権田の里は西上州最大の烏川水系の本川、烏川沿いに明るい山村風景を広げている。烏川はその本支流を鼻曲山付近を源にして、浅間隠山や角落山系に囲まれている。新田次郎の小説、新田義貞を読んでいた頃、西上州烏川の里見郷などを駆け巡った、里見二十五騎を思い出す。この里見氏はあの房州に移住し里見八犬伝で名高い里見氏の始祖だ。烏川沿いは開墾が早くから進んだ土地で、中世においても上州は利根川流域と烏川流域は特に肥沃な土地であった事が記されている。戦国期は厩橋(前橋)を中心に西上州も上杉謙信武田信玄、小田原北条氏など戦国武将達の抗争の舞台となった。歴史の舞台となった上州権田村もダム建設はあるが、鄙びた山村と烏川渓流沿いの山里は今も往時を忍ばせる風情が多い。好ききな山里は?と聞かれたら、私は必ず権田村を挙げるだろう。



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