【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 奥秩父の渓流【回想

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 奥秩父の渓流【回想】滝川谷1


奥武蔵、高麗川から名栗川、横瀬川、外秩父からいよいよ、本命の荒川源流への釣行だ。前後するが、中津川や入川谷にも行くようになっていたが、滝川谷は一人では行きたくない。秩父で知り合った、東京の釣り師と一泊で入る。もちろん、釣橋小屋で宴会だ!この頃はまだ車も無く、電車と徒歩で秩父の渓流を釣り歩いていた。だから電車行の源流マンには近づきたかった。何より安全な釣りをする為には情報と仲間が必要だし、一人ではつまらない。近年になり、秩父イワナだ!とか騒ぐ団体や個人が居るが、当時はそんなものは無く、森林伐採の役目を終えた森林軌道跡の道をひたすら通う釣り人や登山者ばかりだった。イワナは色も彼らのいう秩父イワナというより、信濃川水系の限定された沢には幾らでもいた。入川や滝川は、時には50センチオーバーの、イワナを見せてくれた釣り人も居た。物凄い顎の杓れた化け物イワナだ。軽くビンビール位はある胴回り。今となってはそれが凄い大イワナだと思うが、当時は尺五寸で大イワナだと言っていた人達だから。今から40年以上前には、更に巨大な大イワナが居たのだろう。その頃は森林伐採の最盛期だったから当時を知る人は今は少ないだろう。【釣橋小屋】は『吊橋小屋』と書かないのが気に入っていた。80年代には源流行が流行って急に人臭くなった記憶がある。勿論今のように傾いてる吊り橋でも、倒壊廃屋寸前の小屋でもない立派な山小屋だった。入川谷柳小屋はその位置から、避難小屋を兼ねた立派な登山小屋になったが、それは国道140号の雁坂側(豆焼沢の現在のルート)になった豆焼沢と滝川ルートを間逃れた滝川本谷との差と似ている。開発が無い谿は放置され、目的がある谿は徹底的に破壊される!(豆焼谷) あの国道140号が滝川をぶち抜くと聞いてルートの地図の写しを見たときは、『もう、滝川は終わりだ…』と思った。
それから滝川最後の宴より秩父の渓流からは遠退く事になっていった。釣れ無くなったから離れた訳ではない。他の地方の渓流の魅力に開眼したからだ。東北や北海道、近畿、北陸、東海、四国、九州と広範囲を釣るように思考が変わっていった。後年、会うことになる佐々木一男氏、鈴野藤夫氏、土肥唯史氏、などの渓流釣り、源流釣りの先駆者達の道を後追いする旅が続いていった。彼らは私にとって正に先生だ。直接釣りを拝見する機会は当時はなかったが、先生方のお陰で丹沢、奥多摩、奥武蔵、秩父から全国の渓流に視野が広がった。地域の渓流を釣り場と考えた、最後の渓流が秩父の谿だった。



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