【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会【渓流の山里】5

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会【渓流の山里】5〈信州・木曽谷の山里〉



木曽の文豪といえば島崎藤村だが、有名な「夜明け前」で木曽路はすべて山の中であると表記しているように、全くその通り、東西南北、アルプス、御岳山と深山に囲まれている。木曾谷山間の山里は木曽路の中央を走る中山道(中仙道)を中心とした村落と、御岳山麓や谷間の小集落を含む山岳地帯の山里でもある。木曽の檜は有名で、木工業が今も盛んだ。中山道沿いには材木問屋や木工所が多い。古くは豊臣秀吉が美濃の蜂須賀党に頼んで、一夜城たる墨俣築城の際、筏で木曽の材木を運んだのは有名だ。また江戸期には江戸城名古屋城などの築材として木曽の木材が使用された。廃藩置県後、一時筑摩県となり木曾谷は国有林となった。1889年には御料林となり、現在も林野庁国有林として管理されている。また木工用品作りも盛んで、中でも漆器業は南木曽蘭(あららぎ)地区を中心に栄えた。所謂ロクロ細工だが、木地師達の腕が研かれていた。また檜笠もお土産屋にあり、観光民芸品となっている。妻籠宿と馬籠宿は往時わ忍ばせる風景になっていて町並みが保存されている。こうした背景から、木工産業が盛んになり、鉄道や道の開通により、更に木曾谷奥地に人々が入り込んでいった。そして我々が渓流釣りを始める50年前森林伐採、治水水利用の為のダム建設ラッシュが始まった。大正2年には、小川(赤沢)の森林鉄道が出来軌道が敷設され、伐採森林運搬の主役となった。ダムも森林鉄道の延伸に伴い、最奥の三浦ダムも昭和18年には完成した。山国の木曾谷は山間の狭い土地だが、御岳山麓には開田高原などの平高地がある。当然家畜や馬は貴重な財産で、木曽馬として有名だ。中央アルプスの最高峰、木曽駒ケ岳は、伊那谷から見えるにも拘らず、木曽の駒ケ岳という。駒は勿論馬に通じ、山里から見て農耕の暦通り、馬を表す。秩父浦山郷に毛附という集落があるが、毛附とはけづけと読み、古代の貢馬用語の一つだ。財産となる木曽馬の利権は色々な紛争の火種になった。軍役用の馬もあれば、農耕作業や荷運搬用の馬もいた。現代ではかなり山深い木曽の山里にも道が通じ、山村の人々も自動車を利用している。今時ランプ生活などしている民家はないが鄙びた山村風景が残る、木曽の山里は歴史に大きく翻弄されてきた土地だ。木曽の山里を探訪するならば、是非こういった歴史背景を考えながら旅をするとよいと思う。山道の別れに道しるべ代わりに、道祖神がある山里は何時来ても心が落ち着く。



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