【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 奥武蔵の渓流【回想

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 奥武蔵の渓流【回想】高麗川、名栗川1



今から33年前、小学校の遠足で、高麗川巾着田に行った。当時は水が綺麗で田に引水が始まったあとの6月、遠足に行った事をきっかけに奥武蔵の渓流である、高麗川水系に通った。もちろん日帰りで電車とバス徒歩のみだ。吾野川(高麗川上流域)を中心に左右からの小沢釣りがよかった。西吾野の名もない沢だがヤマメはいた。16センチくらいだが立派な魚だ。ハヤが多い。冬はハヤ、ヤマベ釣り。春からヤマメ、マス釣りをした。西部マス釣り場は昔からあるが増水後下流では大型のマスが釣れた。次第に本流から支流の釣り場に目が向く。当時はヤマメが綺麗な水の上流にしかいないと思っていた。しかし春は越冬で移動し比較的水量のある下流域にヤマメがいる事をしらなかった。標高が低い地域、たとえば標高が100メートルもない狩野川などでもハヤ、ヤマベと一緒にヤマメはいるし、集落や住宅があっても生息できることを知った。山登りも始めたばかり、そういった下流や本流もよいが、山奥の渓流に魅力を感じるようになっていった。山登りと渓流釣りを同時に楽しめるし、なにより人里離れた景色がよい。ある日、虎秀川では馬に乗った人が後ろから勢いよく走ってきて驚いたが上の集落の人だろう。奥武蔵の人は親切だ。こんな子供が釣りや山の事を聞いてくるなんて珍しいのか色々教えてもらう。竜ガ谷川で出会ったおばぁさんはどうしたか?桂のことを詳しく教えてくれた。山里で聞く言葉や文化は都会っ子の私にはわからないことが多かった。あとでわかるが地元にしかない風土を訊ねるということみいだ。語り継がれ残るものはあるみたいだ。歴史と風土の中の生活史の一部の渓流釣り。職漁などにみられる渓流釣りは、今の娯楽とは違うもっと生活、文化に関わっていたものと思う。その後も、春先を中心に、奥武蔵の渓流である、高麗川、名栗川、越辺川、槻川、とき川などに足をのばし、秩父の渓流、上州の渓流へと釣り場を広げた。奥多摩より丹沢より身近な存在の奥武蔵の渓流だった。渓流釣りを本格的にするきっかとなった運命の本、つり人社発刊、鈴野藤夫氏の関東南部の渓流に出会うのはそれからまだ5年先の事である。

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翠月