【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 丹沢の渓流 西丹沢

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会  丹沢の渓流 西丹沢・大又沢源流2



当時、世附川に通い始めた頃はまだ丹沢湖(三保ダム)の完成直前で急ピッチで工事が進んでいた。浅瀬行きのバスは無くなり、世附への林道は湖岸道工事の為一般車は通行止めになっていた。工事のおじさんも、私が釣りに来たので、歩きだから通して欲しいというが、危ないよと!子供扱いである。谷峨駅に終電で降りて、深夜に歩き、遠い大又沢の入口、真っ暗な深夜の浅瀬集落に漸く着いた。大又沢へは浅瀬から徒歩で30分程で浅瀬橋で大又沢に出合う。世附本流からは暫らくは平坦だが、一つ目の堰堤までは差してくるヤマメに時々糸を切られた。笹子沢を過ぎ、左岸からはこれまたいい名のヤマメ沢が出合う。水量は少ないが、ヤマメを期待して入ったりもした。直ぐ上流には右岸から聖名の法行沢(宝形沢?、地蔵平には武田の埋蔵金伝説がある)が合流。法行沢は半日がかりの谿で、下流部〜中流部が谷が深い。富士見峠〜織戸峠の踏跡は、今は基幹林道になっている。取水より先の源流にはやはり踏跡がある。直ぐ東電の大又取水ダムが有り、千鳥橋で大又沢を渡る。この辺りは落差はあまり無い浅瀬だが、魚は多かった。時間の無い時や先行者が多い時は、大又ダムバックウォーターから入渓した。後年、フライマンが増えてこの辺りは川が広く釣り易い為かよく見かけた。そして地蔵平に辿り着く。地蔵平には丹沢湖着工前から、以前は大規模な伐採や周辺の森林開発の拠点となった場所で、丹沢物語や風土記、諸記にも必ず出てくる大又沢の中心地だ。古く戦国時代は小田原北条氏への前線基地として武田氏の砦があった。都留郡から道志山稜を越えた武田軍の先方衆が駐留した土地だ。山間の小平地だが、何時の時代も人間により開墾され利用されてきた地蔵平は、基幹林道の工事も落ち着き、今はひっそりした廃村になっている。この地蔵平は地形的にも大又沢源流が散開する地域で、釣場の拠点ともなった。夏は車で来て、キャンプを張る人も多かった。近年では無計画な登山者や安易な入山者の事故などにより、入山規制がされている。入口にはゲートがあり管理事務所まであり、釣人や入山者に対しても規制があり、紅葉を見たり、登山も出来なくなった。管理釣場化した。入山規制はゲートに告知さるている。キャンプ禁止、入山は朝400〜など。日帰り登山にも時間制限があるのはどうかと思う。元に戻して欲しい。大又沢から帰りは昔は遅くなり、浅瀬に八時位はいつもの事。帰りが遅くなった日は、見回りに来ていたパトカーに拾われた事もある。当時未成年の渓流釣り少年(つりキチ三平?)なんてあまりいないかったのかもしれない。殆ど身柄保護状態で、一人でこんなに遅くまで山歩きをして、事故などに繋がる行為だ!と注意を受けた。渓流釣りを初めて間もない私は、唯々憧れの渓を目指していた。少年渓流釣り師の「未知の渓」への旅は始まったばかりだった。
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■日本渓流会JP翠渓会
翠渓会関東圏基幹G本部
関東圏本部・本部長
関東圏統括・関東管領
関東南部支部支部
翠渓会本部・副会長【翠月】

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