【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再回想】5 葛野川



朝方になると、雨になっていた。朝靄が掛かっていて大したことはない。魚止め滝までは直ぐだ。ツェルトを撤収し、ひんやりした夏の渓を遡行する。まだ落差は無いが、魚止め滝までは短いので、じっくり釣る。すると小さな落ち込みから、漸く8寸のヤマメが釣れた。パーマークのはっきりしたいいヤマメだ。まだ渓に陽ざしが、届かず暗い。雨は少し大粒になったので急ぐ。土室川の魚止滝は貧弱だが、両岸を低い岩盤に囲まれた淵と落差2m程の小滝だ。いつものように左岸から攻める。粘るが、なかなかアタリはない。土室川の唯一のポイントなので、いつも粘るがだいたい最後に釣れる事が多い。この日も全くアタリがない。 錘を大きくし、置竿で勝負にでた、これでアタリも無いようなら、引き上げるしかない。半ば諦め状態で放置、朝食にする。小雨の中モンベルツェルトのフライシートだけ張る。これで十分雨宿りができる。今回もあまり釣れないな…。
暫らくすると、突然濁り始める。抹茶色の流れに変わる。鉄砲水か…?雨は然程降ってないはずだ。水量は急激に増えた訳でもない。ただ濁りだけだ。山抜けか?小金沢連嶺は岩盤もあるが、奥地の伐採が無い分木も残っていて安定した渓が多い。特に土室川の北は牛ノ寝通りと呼ばれる尾根で、古来より大菩薩への主要往還路だ。なぜ濁った流れになったんだろうか?川底が薄く見える程度だ。これ以上濁るなら、撤退だ。とよく見るとアタリだ!竿を上げると魚がギラリと反転した、ヤマメだ!ゆっくり淵下まで移動し、タモに納める。測ると体高ある28センチのヤマメだ。尺ヤマメではなかったが、嬉しい。それまで全くアタリすら無かったのに…。濁った流れになったから、出てきたのか?またツェルトに戻り、寛ぐ。さて下山だ。何時も取り付き点に白いテープを付ける。左岸の小径に上がり、所々崩れた踏み跡を、車のある林道まで戻った。
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甲州の渓流』



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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再回想】5 葛野川



そんな訳で、幾度となく訪れる渓流となり、郡内渓流では一番通った土室川だった。全く釣れない日もあったが、多少増水していても巻き道を使えば、魚止め滝までは行けた。例の大ヤマメを見た沢の出合いも一雨降ると、砂で平らになっていた。最初の堰堤までは、たいしたポイントもないが、水のある時はヤマメが平瀬からも釣れた。ある年のカラカラの夏日が続いた8月に、土室川に行ってみた。いつものような下流から入るが、水が無い!渇水だ。暫く竿も出さず歩いた。時折、山裾に動物の気配を感じながら、ゆっくりあるく、地図で見ると左に大きく湾曲した流れになるが、見た目はそうでもない。地図でみるとゴルジュでも有りそうな地形に見える。岩盤はあるが、ゴルジュと言うわけ出もない。この辺りから竿をようやく出す。あまりの暑さに、半袖一枚だ。渓にいるのに蒸し暑い。暫らくしてやっと一匹のヤマメ。18センチだ。直ぐ放流すると元気に川に戻った。夏ヤマメは1里に一匹とはこのことだ。いっそビバークしてみるか?寝袋はないが、モンベルツェルトはある。決心して対岸の台地上にツェルトを張る。全く無風で暑い。木々を集め、ビバークの準備だ。食料は多めに持っている、雨の心配もない、大丈夫、大丈夫…。夕まづめにテンカラで釣る。ヤマメは小型だか、元気に飛び掛かってくる。おかずに二匹キープする。山菜もない季節、あとはインスタントものだ。テン場に帰り、焚き火をする。夜になり少し寒い。明日は魚止めを朝イチ攻めて戻る予定だ。
星が綺麗な明るい夜だった。



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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会  続・甲州の渓流【再回想】5 葛野川



危険な険谷という、小金沢の名前に、自分の技量では当然入渓は困難に思われた。地図に目をやると、大支流の奈良子川、浅川に目が行くが、小金沢があまりに目立つゴルジュ記号が多数ある。もう一方の源流、土室川がどうだろうか?色々、調べるが葛野川の情報は、小金沢のものが多く、土室川についてはあまり、資料がなかった。名前さえ誤記されるような渓だった。土室川は小室とか、十室とか、書かれていて判別し難い。丹波山村の泉水谷に、小室川谷という谷があり水源が近くなので、間違い易い。今では下流に松姫湖、葛野川ダムがある。名前は葛野川ダムだが、土室川のダムになる。入渓はいつも比較的下流から入る。松姫峠に向かう県道の橋(今は埋没、減水時には白いガードレールが見える)を見送り、林道に入と間もなく林終となり、左岸沿いの小径を辿る。左岸から幾つかの小沢が入るが、大菩薩岳に向かう尾根から湧出する沢だ。流程は短く、一部を除き、ヤマメは生息しない。下流から入渓するのは、
こういった小沢の出会いがポイントで、よく大ヤマメが付いていた。尺ヤマメが出たポイントがある。
土室川は入渓した事がある人は知っていると思うが、下流から源流に至まで、略平坦な渓相で、ポイントが少ない。延々と平瀬と小さな落ち込みばかりで、深淵や滝が無い。


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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再回想】5 葛野川



甲斐葛野川水系は、山梨県郡内北部の小金沢連嶺を水源にした、一大渓流だ。もっとも、ベテランの渓流マンなら知らない人はいない。関東の耶馬渓…、関東の黒部などとうたわれた小金沢の名前だ。当時まだ渓流釣りを始めたばかりの自分でも知っていたくらい、有名な渓流だった。そんな葛野川の事を、詳しく聞けた釣り人と出会った。それは、バスで通っていた頃、隣の鶴川上流で、帰路が遅くなり、西原のバス停まで歩いていた時の事だ。ワゴン車の釣り人が、『釣れたかい?』と声を掛けてきた。親切にも上野原駅まで送ってくれると言う。中学生だったので、タクシーなど呼べる訳もなく、一時間半もかかるバスに頼っての釣行だった。バス停を過ぎ、暫く行くと初戸あたりで追い着いた。拾って貰わなかったら歩く事になっていただろう。駅までの間、山梨の渓流について色々聞けた。秋山村の釣り人だったが、どうりで詳しい訳だ。小金沢はやはり凄い谷らしい。一人で行って帰って来なかった人もいるらしい。何しろ渓が深く、小金沢渓流釣場のある、深城あたりから更に深くなるようだ。渓谷へら、林道からは限られた降り口があるが、大淵の巻き道で、行き詰まり滑落したりするので、ルートが分かる人と同行しないと、帰って来れないと言われた。
他にも山梨県の渓流について教えて貰って、話しているうちにようやく上野原の町に着いた。 

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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再回想】4


甲斐南部の鰍沢町は、これまたいい名前だ。付近で目立つ富士川支流は、大柳川と小柳川で、特に大柳川は通った。国道52号を右折、十谷(ジッコク)温泉に向かう。下流は平坦だが、だんだん谷が深くなる。大柳川は下流や支流にアマゴ、イワナが生息している。放流物が多いが、放流の無い支流の一部に天然物もいる。まずは新しく出来た、大柳川の渓谷歩道を頼りに釣る。台風後で、今日は水量が多い。釣り始めから直ぐ、入れ食いだ。アマゴばかり30尾。大アマゴは出なかったが、最高は九寸だった。23センチ位のが揃った。綺麗なアマゴだ。写真を取り放す。当時は川が綺麗だった。十谷温泉は更に大柳川渓谷を登った先に、源氏荘が有り、大きながまが出迎えてくれる。午後はのんびり露天風呂(混浴)に入る。大柳川渓谷の濁った川が目の前で滝(堰堤)になっている。大柳川渓谷の源流には、宿名と同じ、源氏山がある。夕まづめには支流に入る。水量が多いのでチャンスかも。



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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 続・甲州の渓流【再回想】1


甲斐の国は南アルプスや東アルプス、八ヶ岳などに囲まれた一大渓流王国だ。鮎の川で有名な富士川水系が中心で、更に早川、釜無川笛吹川甲州路の渓流の中心河川に別れる。渓流釣り場として名高い河川も多いが目立たない、穴場の川も沢山ある。甲府盆地は寒暖の差も大きい土地柄だ。風土、地形的な関係から甲斐の渓流には特徴がある。やはり盆地の侠小部や、扇状地では荒れた印象の河川が多い。武田信玄が築いた信玄堤は暴れ川の御大使川を堰とした訳だが、南アルプス前衛の山々から一気に扇状地地形に押し出された典型的な渓流だ。当然、富士川下流には大量の土砂が流れ込んでいる。早川もその名からも昔はかなりの暴れ川だった。甲府盆地は南部は峡谷になり、絞り混んだような形にる。銀杏の葉の様な形だ。御坂連山からの川も扇状地に押し出すように河原を露呈している。下流は荒れた感じでも上流部には好渓もある。山肌の荒れていない地域ならまだ、いい渓相の川もある。そんな山梨の渓で通った川に早川水系がある。本流には奈良田湖や堰堤、発電所などが釣り場を分断しているが、昔の本には早川渓谷の名前が散見される大渓谷だった。息を飲む絶景の夜叉神峠の奥に聳える、白根山。広河原はその山麓で、北岳に向かう登山者で賑わっていた。


翠月



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【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会 丹沢の渓流 西丹沢

【匯想烈伝】回夢幻想渓流・日本渓流JP翠渓会  丹沢の渓流 西丹沢・大又沢源流2



当時、世附川に通い始めた頃はまだ丹沢湖(三保ダム)の完成直前で急ピッチで工事が進んでいた。浅瀬行きのバスは無くなり、世附への林道は湖岸道工事の為一般車は通行止めになっていた。工事のおじさんも、私が釣りに来たので、歩きだから通して欲しいというが、危ないよと!子供扱いである。谷峨駅に終電で降りて、深夜に歩き、遠い大又沢の入口、真っ暗な深夜の浅瀬集落に漸く着いた。大又沢へは浅瀬から徒歩で30分程で浅瀬橋で大又沢に出合う。世附本流からは暫らくは平坦だが、一つ目の堰堤までは差してくるヤマメに時々糸を切られた。笹子沢を過ぎ、左岸からはこれまたいい名のヤマメ沢が出合う。水量は少ないが、ヤマメを期待して入ったりもした。直ぐ上流には右岸から聖名の法行沢(宝形沢?、地蔵平には武田の埋蔵金伝説がある)が合流。法行沢は半日がかりの谿で、下流部〜中流部が谷が深い。富士見峠〜織戸峠の踏跡は、今は基幹林道になっている。取水より先の源流にはやはり踏跡がある。直ぐ東電の大又取水ダムが有り、千鳥橋で大又沢を渡る。この辺りは落差はあまり無い浅瀬だが、魚は多かった。時間の無い時や先行者が多い時は、大又ダムバックウォーターから入渓した。後年、フライマンが増えてこの辺りは川が広く釣り易い為かよく見かけた。そして地蔵平に辿り着く。地蔵平には丹沢湖着工前から、以前は大規模な伐採や周辺の森林開発の拠点となった場所で、丹沢物語や風土記、諸記にも必ず出てくる大又沢の中心地だ。古く戦国時代は小田原北条氏への前線基地として武田氏の砦があった。都留郡から道志山稜を越えた武田軍の先方衆が駐留した土地だ。山間の小平地だが、何時の時代も人間により開墾され利用されてきた地蔵平は、基幹林道の工事も落ち着き、今はひっそりした廃村になっている。この地蔵平は地形的にも大又沢源流が散開する地域で、釣場の拠点ともなった。夏は車で来て、キャンプを張る人も多かった。近年では無計画な登山者や安易な入山者の事故などにより、入山規制がされている。入口にはゲートがあり管理事務所まであり、釣人や入山者に対しても規制があり、紅葉を見たり、登山も出来なくなった。管理釣場化した。入山規制はゲートに告知さるている。キャンプ禁止、入山は朝400〜など。日帰り登山にも時間制限があるのはどうかと思う。元に戻して欲しい。大又沢から帰りは昔は遅くなり、浅瀬に八時位はいつもの事。帰りが遅くなった日は、見回りに来ていたパトカーに拾われた事もある。当時未成年の渓流釣り少年(つりキチ三平?)なんてあまりいないかったのかもしれない。殆ど身柄保護状態で、一人でこんなに遅くまで山歩きをして、事故などに繋がる行為だ!と注意を受けた。渓流釣りを初めて間もない私は、唯々憧れの渓を目指していた。少年渓流釣り師の「未知の渓」への旅は始まったばかりだった。
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■日本渓流会JP翠渓会
翠渓会関東圏基幹G本部
関東圏本部・本部長
関東圏統括・関東管領
関東南部支部支部
翠渓会本部・副会長【翠月】

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